2024年度 研究報告 (立教大学社会デザイン研究所)
「非日常空間の日常における創出」に関する研究 その5
−暮らしを支える「心の専門家」が必要とする霊性のベクトルについて−
【 概 要 】
本研究はコミュニティヘルスの促進に寄与する知見を導き出すことを目指している。昨今、コミュニティヘルスの重要性は広く認識され、地域包括ケアシステムや地域共生社会の構築といった名目の下に新たな施策が推し進められ、自助・互助・共助を促す仕掛けや仕組みが次々と導入されてきている。しかし、行政主導で推進されているこの動向に対して、筆者は前年度までの研究活動において、そもそも現代人の「他者と共に生きる力」、すなわち他者と深く関わり助け合いの関係になるほどの許容力が、支援職、市民活動従事者、近隣づきあいすべてにおいて低下しているという、より本質的な課題が存在するということを問題提起してきた。そして、「共創する身体づくり講座」の開発を、それに対する1つの解として行い(2019年)、2020年度からは「非日常空間」を暮らしと地続きの関係性の中に創ることの重要性に着目して研究をしてきた。なぜ、「非日常空間」なのかというと、個人化が極まった現代に生きる私たちにとって、他者と共に生きることや助け合いが当たり前になるには、それが良いこと・必要なことという知識や掛け声だけでは十分ではなく、他者と、日常とは異なる位相で「人として」出逢える場や機会を創出し、哀しみや憤りといった感情も当たり前のこととして承認し合えるような包容力を養い、そこから「共創」の関係性を構築していけるような「手助け」を提供する場が必要となるからだ。
この「手助け」には、自立した個人として生きることを是とする近代西洋個人主義的な個人観から脱し、健康は個人の中ではなく関係の中にあるという価値観や、人を関係的存在として捉える思想に基づく世界観へと開かれていく、価値観の変容を促すことも含まれる。よって、本研究が扱う「非日常空間」を創出していくには、ある一定の技術や知識、「非日常空間」を支え裏付ける思想を有する者の存在が要となる。そのため、2021年度は、この「非日常空間」創出における「心の専門家」の役割を検討し、スピリチュアリティを全うに扱える「心の専門家」の必要性を示してきた。そこから既存の組織宗教すなわち従来スピリチュアリティを扱うとされている領域とコミュニティヘルスを目的とした「非日常空間」との関係性の探究(2022年)や、いにしえから紡がれてきた「共同作業」でつながる「非日常空間」の条件の検討(2023年)を通して、伝統的な共同作業をリードする者が持つ「暮らしと地続きの霊性」が、コミュニティヘルス促進を目的とした「非日常空間」の創出を行う「心の専門家」が必要とする霊性の1つのモデルとなるのではないかという問いに辿り着いた。そして5年目となる2024年度の研究活動では、2023年度に到達した問いを引き継ぎ、暮らしを支える「心の専門家」が必要とする「暮らしと地続きの霊性」の質や型、その場に必要な要素などを探究することとした。方法としては、これまで行ってきた「非日常空間の創出」の実践から研究会を立ち上げたり、実践の場に新たな枠(オブザーバー枠)を設け、その参加者にフィードバック(レポート)の提出を求め、受け取った感想を参加者と共に吟味し実践の場がどのような要素から成り立っているのか、そこで霊性はどのように扱われているのかについて意見交換したりした。さらに「非日常空間」への視察や参加を通して、同様の内容(成立の条件、牽引する者の質、霊性の扱われ方など)について検証し、洞察を深めることに注力した。
なお、本研究では「非日常空間」を「従来の経済的価値に縛られない領域において、起こった出来事と和解することができ得る空間」であり「日常から乖離しない形で、日常で他者と共に生きることへと強く押し出す契機となるような場」と定義している。このような時空間としては、自然との関係や神仏との関係が深い場や日常から離れる瞑想やワークショップのような場が想定されやすいが、本研究の特徴であり独創的な点は、このような時空間を地域保健医療福祉やまちづくりの領域、すなわち専門家と市民が協同で行うコミュニティづくり(地域包括ケアシステムの構築や地域共生社会の流れ)において、それらの活動と断絶しない形でいかに創出することができるかを試みていることにある。また、「コミュニティヘルス促進」とは、日常の暮らしの次元での親密な関係構築(いざという時に、具体的に助け合う関係構築)を指している。さらに本研究では、臨床心理士や公認心理師という心理専門職の資格を持たない者が、暮らしを支える関係性において被支援者のこころに寄り添い、こころの機微を捉え安心・安全な場を創っている者が多いという実情を踏まえて、「心の専門家」という呼称を用いている。
【活動内容】
1. 研究会活動
研究テーマがヘルス全般から、「非日常空間」と宗教(聖職者の立ち位置)や霊性、日本の基層精神に流れる作法等との関係を検討していくことへとシフトしたことに伴い、これまで開催してきた「リレーショナルヘルス研究会(旧共創研究会)」を一旦停止し、2022年7月〜23年6月までに開催した「お坊さんと過ごす午後のスイーツと感話の会」の主催メンバーのクローズドの研究会(仮称 我々の居場所研究会)を立ち上げ活動した。
なお、「お坊さんと過ごす午後のスイーツと感話の会」は、「非日常空間の創出」の新たな試みとして聖職者(浄土真宗僧侶 木原氏)と組み、物理的な「寺」の外で「非日常空間」を創る実践的研究であり、場づくり担当として研究会やてらたん塾(以下2の(1)参照)メンバーである飯塚氏を配置して行ったものである。開催日と内容は以下の通り。
3月26日(火) 帰ってきた「スイーツと感話の会」特別企画:春のもちより会〜お花見団
子と美味しいものと、「ここから」編〜開催(6名参加)。終了後に振り返りの会。
5月20日(月)これまでとこれからと称して身体技法(コンステレーション)を用いて企
画全体に流れていたテーマを確認、過去の参加者にアンケート調査をすることを決定。
6月24日(月)アンケート案(場作り担当であった飯塚氏が作成)を下に内容を協議。
10月20日(日)アンケート最終版完成。
11月に対象者13名にメールにて送信。現時点で3名から回答を受け取っている。
2. 「非日常空間」の創出の実践活動
(1)てらたん塾(「てらたん」は、「寺で胆力をつける」の略称)
てらたん講座(*)の修了生の月1回の探求の場。3月と8月を除く月1回の午後2時〜6時、葛飾区内の公共施設にて開催。
開催日:4/21, 5/12, 6/16, 7/21, 9/15, 10/20, 11/17, 12/15, 1/12, 2/23
本年度は新たな実験的試みとして、4月からオブザーバー枠2名を設け、てらたん塾で用いている即興身体技法(コンステレーション・ワーク)の体験を希望する者への門戸を開いて開催した。オブザーバー参加者には、後日レポートの提出という形で、研究実践活動への協力を依頼した。
4月から12月まででオブザーバー参加者は述べ14名、レポート提出者6名。
(*)てらたん講座の正式名称は、「暮らしの中で『聴く』時に使う技・立脚する世界観の探究講座」で、サイコソマティック心理療法の体験を通して人間理解を深め、どのような世界観や身体性を持つことによって「共創」の関係に生きる力、すなわち、日常を他者と共に生きる力が養われるのかを探究することを目的として開催した講座であり、前述の「共創する身体づくり講座」の原型となった講座である。
(2)ここくら相談室(通称ここくら)
「ここくら」は、「こころとくらしの相談室」の略であり、日常空間(住居の一角のスペース)にある相談ブースである。友人の紹介、友人自身、ご近所つきあいをしている人も気軽に通える場でありながら、暮らしの相談からこころの相談まで受け付け、必要に応じて心理療法の技法を用いるという生活および心理支援の一形態(ソーシャルワークと心理療法を統合した形)の実践である。
一般的に、心理支援に携わる者は、守秘義務や多重関係の禁止(回避)を徹底することが職業倫理として求められる。しかし、これは、カウンセリングルームでの心理支援を前提とした近代西洋的な個の確立を目指した支援原理に基づくものであり、暮らしの領域で必要とされる心理支援にはそぐわない。また、カウンセリングルームでのカウンセリングで感情の解放や気づきがもたらされても、それが、クライアントが生きる日常において活かされない、日常における行動変容や人間関係の改善等になかなかつながらないという課題がある。「ここくら」は、この課題に長年取り組み辿り着いた形式であり、実験的な取り組みである。2020年より開催しているが、2024年度は拠点改築に伴いに8月まで開催とした。
(3)それぞれの3.11への静かな時間
直接の被災地とはならなかった東京で生活する者にとっても、それぞれに3月11日があり、さまざまな思いを持ち続けている。偲びたい人がいる者もいない者も、話したい思いがある者もない者も、それぞれに3月11日にあったということを尊重して共に在ることができる場として2021年から開催している場。(原型は2012年に開催した円居の場)
本年度は、この企画の主旨に賛同し過去に参加してくれた(上記1の研究会メンバーでもある)木原祐健僧侶とテンプルライブラリー世話人の山本ユミ氏と共にテンプルライブラリー(神谷町光明寺 新館)にて開催。3月11日(月)13時〜17時。7名参加。
3.「非日常空間」の視察および参与観察
(1)福島県の浜通りにある東日本大震災および原子力災害の伝承の場の視察
日常から乖離しない形で、日常で他者と共に生きることへと強く押し出す契機となる
「非日常」の場の1つとして以下の場所を訪問視察した。
3月29日:原子力災害考証館furusato (いわき市)
3月30日:東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)、ふたばインフォ(富岡町)、
とみおかアーカイブ・ミュージアム(富岡町)、宝鏡寺・伝言館(楢葉町)
3月31日:おれ達の伝承館(南相馬市)
(2)巫術としての舞の稽古への参加と観察
「非日常空間」の創出活動では、参加者のこころの機微を適切に捉え対処することや、時には科学的思考では捉えられない現象(例えば、ある1人の参加者が持ち込んだテーマの重さで場全体がよどんだり、体調を崩したりする者が出る等)に適切に介入するといったことを通して場をホールドする力が必要となる。筆者はこのような現象に対処する術をソーシャルワークや心理療法のトレーニングと実践で培ってきているが、過去5年程の「非日常空間」の創出の実践を続ける中で、霊性を扱うに必要なカタや技能および身体性の洗練や、安全な場の成立条件についてより深く学ぶ必要性を実感する出来事に出会ってきた。そこで、様々な修行や稽古の場をリサーチした結果、特定の宗教には拠らないが日本の伝統的な身体使いや霊性を習得するに適している場として一般社団法人日本燦々が主催する天麻那舞に辿り着いた。2024年度は月2回のペースで稽古に通い、7月には行田八幡神社(埼玉県行田市)、11月には筑波山神社(茨城県つくば市)の奉納に参加した。
4. 「非日常空間」の創出の意義・技術の普及(社会化)
(1) 大慈学苑
①「スピリチュアルケア実践講座」にて、「スピリチュアルケア技能」と「システム
論的アプローチとリレーショナルヘルス」の講義を担当。
全3回(4月20日(土)、 6月9日(火)と18日(火)、10月19日(土))
②スピリチュアルケア道探索会でのワークショップ講師
テーマ:身体(からだ)を通して探索する 人と人のつながりと声なき想い
日時:2024年1月27日(土)11時〜20時30分、28日(日)9時〜14時
(2)相模女子大学 人間心理学科 心理療法演習VI 担当
演習タイトル「システミック・ファミリー・コンステレーションから〈いのち〉〈健康〉を考える」(全15回)。
【成果】
研究会活動、「非日常空間」の創出の実践活動、視察や参与観察など様々な形で研究活動を行ってきたが、その中で、本年度のテーマである、「心の専門家」が必要とする霊性の質や型はどのようなものなのかという問いに対する有益な洞察を得られたのは、「てらたん塾」にオブザーバー枠を設けたことと、天麻那舞の稽古と奉納への参加であった。
「てらたん塾」では、システミック家族療法の1つである即興身体技法(コンステレーション・ワーク)を用いる。それは、家族等の関係性を観る時に、参加者の中から家族の構成員の代理人を配置し、代理人となった人達が感じ取る感覚や感情を手がかりに家族内に隠されている力動をつかみ、そこにある不調和を修正していくものであるが、その過程では一種の憑依とみられるような非科学的な現象を扱うことがある。オブザーバー枠を設けたことで、初参加のオブザーバーに常連メンバーが「自分にとっての『てらたん塾』」についてや「通い続けている理由」を説明する場面が生まれ、そこでは「月に1回、原始(人間存在そのものという意味)に戻れる日」、「ここなら安心して身を任せられる」、その安心は「どこかにもっていかれる心配がない」といった発言があった。また、このような常連メンバーが持つ感覚を裏付けるように、「まるで日常の隣で周期的に起こされる浄化のおまつりのような。日常と乖離しないひとときの、だからそのまま持ち帰れる、浄化のおまつりでした。」という感想が、後日オブザーバー参加者の1人から届いた。他のオブザーバーからは、「これを普通の人が見たらかなり怪しいコントに見えるだろう」という言葉ではじまり、自分自身が体験した身体感覚の説明の後に、「それが怪しくなくて。怪しいとは誰かの誘導や特殊な能力に頼(ること、そうな)らなくて、出来るのは知る限りで他にない。宝がまたひとつ増えたね。」というSNSを通じたメッセージが届いた。
ここから筆者は、不可思議な現象も起こり得る場である「てらたん塾」という「非日常」を、「日常」と乖離させないことにおいて何に配慮しているのかについて自分自身に問い分析することになった。そこからは、①見えているものの扱い方における方針、②信仰のあらわし方における方針、③介入時にソーシャルワークの基本の自己覚知とインフォームド・コンセントを徹底していることが、「てらたん塾」という「非日常」が暮らしと地続き感を担保することに強く関連しているのではないかという仮説に辿り着いた。たとえば、起こっていることが摩訶不思議であろうがそのことを特別視しない、そのことを権威に拠る裏付けを持って説明しない、自分に見えているモノ・コトはどこまでで、どのように見えているかを参加者にそのまま曝す(上の立ち位置に立たない)ということを徹底していること、また、筆者自身は起こっていることを包括し得る信仰(世界観)を有するが、その世界観を一旦保留にし、それに名をつけたり、その世界観を参加者が持つことへと促したりはしてはいないこと、さらに、介入する時にその介入をなぜしたのかを説明する時に、その説明を受けとる相手(参加者)の日常の暮らしを見据え、その暮らしの中に持って帰れる言葉へと翻訳していることなどである。
本年度の研究テーマに対する成果としては不十分であるが、この「てらたん塾」での筆者の姿勢と、天麻那舞の稽古や奉納の場での筆者の身体感覚および振る舞いを比較することから、本研究での問いの1つであった「こころの専門家」が必要とする「暮らしと地続きの霊性」の輪郭に近づくことができたのではないかと考えている。比較して分かったことは、「てらたん塾」の場と天麻那舞の場にいる時の筆者自身に生じる違いは、感じ取っていることのあらわし方とあらわす時に向けている意識の方向性に最も大きく現れるということだった。天麻那舞では、立つ、坐る、礼、といったシンプルなカタを身体にとって当たり前になるまで稽古をするが、カタに入ってはじめて到達しうる域の静寂(たとえば「一瞬が永遠」というような時空間)に入り、常に天と地をつなぐところに意識を置いて舞う(あらわす)。それに比べて「てらたん塾」で介入し言葉を発する(あらわす)時には、天と地に意識は置いているが、さらに3つ目に「あいだ」、すなわち、参加者の暮らしの中にある関係性における調和が起こる先端を、「まなざし」ている。本年度の研究では、このように筆者自身の感覚の検証作業に留まっており、「心の専門家」が要する霊性の質や型に関する言語化ははじまったばかりではある。しかし、高齢・多死社会、先行き不透明な時代といった言葉で修飾される現代において、スピリチュアルケアのニーズが強く認められておいる領域は確実に存在している割には、その質の明確化は筆者が知る限りほとんど進んでおらず、その領域に応用できる知見として「第3の『あいだ』へのまなざし」というキーワードに辿り着いたことは、重要な一歩となる成果として捉えている。