​エッセイ 共創する身体づくり

 Oct 31, 2020  

       @ matsudo-city, Chiba-ken

技法以前に大切なこと
大慈学苑の訪問スピリチュアルケア専門講座にて

​この文章は、2020年10月31日に、「共創ラボ」のFacebookページにアップしたものです。

久しぶりの活動報告として、自分の誕生日にアップしたもの。
52年前、母はどんな顔して私を見つめていたんだろう、

そんなことをつらつら思い廻らせながら。
そして、この日は満月でした

共創ラボは、畑仕事をしたりご飯会をしたり、桑を植えたり、手仕事したり、倶楽部活動ばかりやっているようにみえますが、実は、それだけではありません。本気のコミュニティづくりのために、場づくりコンサルや講師業もやっています。

 


先週の土曜日は、代表の谷口起代が、大慈学苑の「訪問スピリチュアルケア専門講座」で、動機付け面接技法の講義を2コマ担当させていただいてきました。
「大慈学苑」は、住み慣れた家で人生の最後まで支え合いの中で暮らすことをサポートする台北の大悲学苑をモデルにして日本で2019年に設立された団体です。https://myouyu.net/  代表は看護師で僧侶の玉置妙憂さん。大慈学苑の事業の柱に、訪問スピリチュアルケア(終末期にある方のご自宅への訪問)とスピリチュアルケアができる人の人材育成があります。谷口が担当したのは、この人材育成プログラムの基礎過程にある「スピリチュアルケア技能」分野の面接技法の講座です。
スピリチュアルケアの領域では、谷口が常日頃から言い続けている、人との関わりにおいて重要なのは、技法(テクニック)ではなく場(フィールド)を醸成する力だということを、気兼ねすることなくお話できます。
代表の玉置さんに、「技法に依拠することの危うさを十分に分かっている人にやってもらいたい」という言葉をいただいていたこともあって、今回も、十分すぎるほどに「技法以前」の領域への気づきを促すエクササイズをいれこめました。(そのため、最後のエクササイズの時間が足りなくなってしまったのは反省点です)
1コマ目のサブタイトルは、「フィールドを創る、身体を感じる」
 他者と共にいる時の自分の内側に走る感情や感覚に耳を澄ます、無自覚にする癖とか傾向に気付く、
 一般的に広まっている傾聴テクニックを使ってみた時の身体感覚、使わなかった時の身体感覚の違いに耳を澄ますなどなど。いつ、どこで、どんな風に、自分は違和感を察知するのか、自分の傾向を知ることに重点を置いたエクササイズをいくつかやりました。
そして、2コマ目。サブタイトルは、「変化(いのち・動き・光・灯)に向かう」
動機付け面接技法は、もともと、依存症からの回復支援の現場などで使用されることが多く、紹介されている対話の事例はたいてい目に見える変化(アルコールをやめる、とか)を想定したものばかりです。
訪問スピリチュアルケアの現場には当てはまらないことばかり。ですから、この技法の強みは何か、本質は何かを汲み取ることがまず重要になります。その後、これを訪問スピリチュアルケアの領域で活かせるのか活かせないのか。活かせるとしたらどんなふうにを探究していく。
何にアンテナをはり、何を拠り所にしたら、いずれこの肉体を去るということが生活の中心にある人と共にいる関係を創れるのか。一コマではやりきれない内容ではありましたが、その入り口になる手がかりを、エクササイズをしながら、他者と共にいる自分を感じることを通して、共に探究していきました。
技法以前が重要であること。とはいえ、技法を学ぶことで得られることもあるということ。正しいやり方はない、正しさはその場の中にしかなく、それは変化し続ける。だから、クライアントとの場に居続けられる質を養うことしかない、でも、そのためにも技法は役に立つこともある。。。矛盾することを伝え続ける2コマの真剣勝負。
今回も、看護や介護の専門職の方が多く、すでに現場の体験の積み重ねの中で葛藤を抱え、さらなる学びを求めてやってきた人たちばかりでした。また、他の様々な講座で学んだ経験もある方も多かったのですが、終わった後、「他の傾聴講座では納得できないでいたことが、今回、ようやく自分の中で腑に落ちました。やはり、実際の現場ではそこにいる人と向き合うことが(技法より)先にあるんですよね」といった言葉を伝えにきてくださった方もいて、私の役割を果たすことはできたかなとホッと胸をなでおろし帰路につくことができました。
手法は手法を使うためにあるのではなく、人のため、この講座の文脈でいうなら関係構築のためにあります。だから相手を感じることの方が先にくる。相手を感じることができなければ手法は生きてこないし、相手を感じたことで自分の中に起こることを感じることができなければ、手法は使えません。
とっても当たり前のことなのですが、時に私たちはそのことを忘れ、落とし穴にはまりこみます。または、忘れるつもりがなくても、様々な事情から、感じることができる感受性を失ってしまっていることもあります。
そんな時、しわよせは、弱き立場の側にいくというのが世の常です。
だから、私(谷口)はこういう講座で熱くなってしまうのだろうと思います。
だから、むさ苦しいほどの熱さを投入してもオッケーな大慈学苑でこの講座を担当させていただけるのは、私にとっては、なんとも有り難き幸せなことなのでした。
☆ ☆ ☆
さて、大慈学苑を通して私にとって苦手な「技法を教える」という新しいチャレンジをさせていただきました(今もその過程にいます)が、この経験を活かして、自分の地元でも何かこれまでのものに追加した講座を共創ラボとしてやれるかもしれないという気持ちが芽生えてきています。

大慈学苑の講座があった翌日は、会社を創った仲間と小旅行をしてきました。浅間山をなでなでして、草津のお湯に浸かり、遅咲き如来をお詣りした帰り道、渋滞に巻き込まれた車の中では、自然とこれからの活動のあれこれを話す時間になりました。そんな中、大慈学苑がやっている取り組みのようなものも、少しずつ、地元松戸でも展開できたらなぁという夢が広がっていっています。
よきタイミングでコトが動き出しますように。

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