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​エッセイ 本気のコミュニティづくり 


社会は変わりゆく・・・けれど、
変わりゆく社会の中でも、暮らしの中の、
ほとんど誰に知られることもないところにふっと生まれる「よかった」の言葉がこぼれる時空間だけは守り続けたい

July 17, 2022

       @ matsudo-city, Chiba-ken

​この文章は、2022年7月17日にFacebookに書いたものです。

(文中の「7月8日」に安倍元総理大臣銃撃事件のこと)

​変わりゆく社会のなかで、変わらないこと
〜暮らしの中のほとんど誰に知られることもないところにふっと生まれる
小さな優しいホッとした時空間を求めるこころは変わらない〜

相変わらず、たくさんのプロジェクトに関わっていて、脳みそが分割されて統合できないままの日々を送っている。

 

一年ばかりそんな日々なのだが、ここ一ヶ月はその中でも分割度合いが激しくて、物理的に移動することも多かったけれど、数時間ごとにテーマとメンバーが異なるところで真剣に話す場面が多かった

りして、頭が細切れ状態がマックスになっていた。

 

そのような訳で今回の選挙は十分に考える時間をとることもできず、自分なりの居所が定まらないから行くことに消極的だったが、7月8日の事件は自分が自覚していたよりも影響があったようだ。気がついたら事前投票会場で長い列に並んでいる自分がいた。もともと並ぶという行為が大の苦手なので、修行のような気持ちになって並んでいる間は「この社会に生きてるんだからいかなきゃね」みたいなことを自分に言い聞かせていた。修行モードの頭の中には、「この社会に対して無力である、ということを認める行為もそれはまた重要だ」なんてことや、「こんな言葉が頭の中に浮かんだってことは、まだしばらくこの社会で生きるつもりなんだな私は」などと言う言葉がぐるぐるまわっていた。

 

結構若い頃から自分の居所がわからなくなると、身体の反応に任せてみるという習慣があって、今回は、「どうもまだちゃんと社会との接点を持って生きていたいらしい」ということが確認できた。一連の出来事に遭遇して自分の身体が指し示した動きによって、自分の居所が確認できたという意味で、今回の選挙は自分にとって良い機会になったように思う。

 

さて、そんなわけで、まだちゃんと社会との関係の中で生きていこうということなら、どこに軸を置くのか?ということが、今、私の中で大きな問題になってきている。
コロナ3年目。予感はしていたけど、世の中の空気は大きく変わり、少し前まで「これだ!」と思って書いていたことや前提にしていたことが色あせたり使えない表現になってきている(そのおかげでなかなか文章を書き進めないでいる)。

 

世の中で起こっていることと、たとえば、「今日の夜ご飯どうしようか」とか、「この案件、どう折り合いつけようか」という具体的なこととの間にある距離が、どんどん広がってしまって収拾つかなくなっていることを感じていた。

 

そんなタイミングでお盆がきたことは良いことだった。昨年は予定外に仕事で関西にとどまらねばならず実家に行けなかったので、今年こそはと父と一緒に迎え火を焚いた。我が家の場合、玄関先の植木鉢の中で焚いた火にろうそくを近づけ、ろうそくに火がつくと、「あ、来たね」ということになる。そして、それを一人が持ってお仏壇まで運び、その後ろからもう一人がチーンチーンと鐘を鳴らしながらついていく。そして、お仏壇に届けられた火でお線香をあげてそれぞれお祈りをすると終了となるのだが、今年はふと父が般若心経を唱えられることを思い出したので、「般若心経、唱えてみてよ」と言ってみた。
ここ最近、声のハリがなくなってきていたことが気になっていたから、なんとなく、声を出してもらいたいなと思って言ってみたのだが、内心、断るだろうと思っていた。けれど父は「おぅ」とすぐさま唱え始めてくれた。嬉しくなって写真をバシャバシャとり、途中から、あぁ姉や妹たちに送ってあげようと動画に切り替え、お経を唱える父を録画した。
後から見て気付いたのだが、唱え終わって鐘を2つならした後に、父は「よかった」とつぶやいていたらしい。

 

「よかった」という父のかすれ声はインパクトがあった。気付いた時には鳥肌がたって、目が見開いてそれから大きなためいきが出たのだが、そこから自然と「こういう言葉を聞いていたいだけだわ、自分は」と思えてきて、「こういう言葉をきけるような世の中になるように、こういう言葉を言える人が一人でも増えてくれればいいやと、こういう言葉を言って聞ける関係が少しでも増えていくように、生きて(仕事をして)いきたいや私は」と、ここ1ヶ月ほど見失いかけていた軸がまたようやく明確になってくれた。目の前にかかっていた霞がすぅーと消えていったような感じだった。
このような暮らしの中の、ほとんど誰に知られることもないところにふっと生まれる小さな優しいホッとした時空間。大げさではあるが、そういう時空間があることで人って生きてて良かったって思えたりするものじゃないかなと思う。そういうものが途絶えないようにするには、今のご時世、「自然と」というわけにはいかず、少しばかりコツがいったり努力が必要になったり、ちょっとした「専門性」が必要だったりする。コミュニケーションだったり、こころのケアだったり、感情の扱いだったり、関係構築だったり。
この感性を共有できる人たちと仕事をしていきたいなと思うし、この感性を共有できる人たちの輪を拡げていきたいと思う。
そう、そして明日は心の専門家の国家試験の日。つながりある大事な人たちも受験する予定になっている。この、かすれ声の「よかった」の空間が途絶えない暮らしをつくっていきたいよねというところ、そんな感性を共有できたなと思えた人たちも受験するから、是非ともベストを出し切れますようにと祈っている。

 

写真は、右から お仏壇にパンがあるのは、父への土産で私がもっていったもの。父が「せっかくだから、これも食べさせてあげよう」と封をあけて置いてあげたから。

・・・編集後記もどきでちょっと一言・・・
 

 変わりゆく社会の中で生きるときのコツってなんだろうと考えてみる。

 

​ 「守るものがある人は強い」 これは、東日本大震災後に被災地に入った時に実感したことである。
  2011年4月5日に新宿発の深夜バスで仙台へ向かった。当時、被災地障がい者センターみやぎの拠点となっていたCILたすけっとの事務所に翌朝ついた。数日たって、ここで救援活動する人たちのバイタリティに圧倒されたと同時に底抜けの明るさに驚愕した。身近な人が被災している。自分の家もまだ片付いていない。それぞれが様々な事情を抱えている。でも、共に、守りたいものを守るために活動できるということがここにいる人たちを強くしていた。「助けるものがある人は強くいられるんだな」ということを知った瞬間だった。

守りたいこと これだけは守るを見つけていくことが必要なのだと思う。



2022年10月に2年ぶりにカナダの友人が来日した。これまで毎年来日していた友人カップルである。嬬恋にある山荘を共同で創っている。2年半ぶりの来日で、日本の人々が相変わらず「ゆるく」生きていることが、救いになっていたようだった。待ち合わせの駅で、マスクも忘れて笑顔で出迎えた私の顔をみた彼の目が潤んでいた。

変わりゆく社会の中で、変わらずにいることが、意図しないところで人を震わせることになった。そういう作用はいい。・・・まだ途中

​​(途中 これから写真をアップ)

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