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​Under Construction!

1968(昭和43)年10月31日 誕生 船橋市 海神

4人姉妹の3番目。 

2歳くらいで松戸へ引っ越し。祖父母、両親、4姉妹の8人家族+ペス(犬)

幼稚園 小学校 中学校

原風景→変化していく景色

高木幼稚園 発表会では主人公 本大好き シャイ

高木第二小学校・・・木造校舎が壊された時の衝撃
      学級委員長、生徒会の副会長、マラソン1位 ポートボール

小4で内緒の日記「心和集」書き始める→ずーっと。物語の中に入っちゃう子

普通に通り過ぎれないこと、たくさんある。なんで? だらけ。
​タブーのない質問。または空想の世界。 知らない間に目立つ。

​外側と内側のギャップ。自分はズレているのに、友達いっぱいの人気者と思われる。

六実中学校 1年生 学級委員長 バスケ部

・きっかけはなんとなーくのいじめ。

・相談ばかり受けてて、疲れた。

・うらぎり者だらけ。

・人間絶望。でも自分もその人間。

・茶色の髪、目つき悪、部活だけ行く、授業サボる、・・・・・・

​でも、つるまない →一目おかれる →不良たちの相談が舞い込みはじめる・・・

中3の誓い 

「高校は(不本意だけど)行く。その間に準備する。そして、高校卒業と同時に家をでる。」 アルバイトしまくり。学校はいかず、ギリギリ卒業。

高校 表面上たのしく、内側はしらけて。

しらけていても「情け」は移る。人間の理屈じゃないところへのめんどくささ。言ったことを遂行できない、もどかしさ。自己嫌悪。

・調理師専門学校へ がまんならず。調理師免許を裏技でとって中退。

・温泉旅館「滝の湯@蓼科」の厨房で研修→すんごく認められる。

・そのつながりから、六本木のスナック「なかじま」へ。

・1989年バブルがはじけるちょいと手前の時期の六本木のスナックでホステス

・これが初めて持った名刺

・うかれて熱狂している人々→人間って哀しいんだな。

・六本木のたいめいけん、赤坂の料亭でもバイト

・場作りの基本は、ここで学んだ。

・簿記を3級?まで確かとった。  

・お客さんに好かれる・相談される→説教してしまう。

                        なんだ、おんなじじゃん、の再燃

・お店を任される話がトントンとすすむ

 →「水商売やりたくて生まれてきた訳じゃない!」

・放浪の末、カナダに留学した高校の同級生と話に、トロント・ニューヨークへ

​・自分を試すために、インドへ1ヶ月(姉の卒業旅行をかねて)

​・レストランの立ち上げを任され半年店長。を経て、退職。

・ワーキングホリデービザで「大学探し」の旅へ

・頼りにしていた友人は、頼りにならず。

・住まいも自分で。ホームステイ1ヶ月→ROOM Share、

・移民のための英語学校へ潜り込む 3ヶ月もするうちに現実的に

・高校へ入り直す決意 →22歳で高校生へ。(1年半)

・24歳で、宗教学を学べる大学へめでたく入学

・しかし、宗教学はつまらない。学びたいのは、「宗教そのものではなくて、人間がなぜ宗教を求めるのか」だったことに気づく→

・Psychoanalytic Thought Program (学際領域)へ

・日加学園(日系人の子供の土曜日の学校)の担任(高校生を担当)

・和音クラブ (日本語を母国語とする女性の会)の設立メンバー

・バレーボルの会(日本語でバレーボールを楽しむ会)立ち上げ

・教会へ通いはじめる。難民(クライシスセンターでボランティアなど)

・5年間で卒業 1998年6月 

 オランダで旦那の博士号授与式(defense)に出て日本へ帰国

・社会に目がむいたカナダ滞在 「人権」「社会正義」といった言葉がしっくり

ようやく、自分が必死になることができるとわかった。

                 要領良さからくる罪悪感とバイバイ。

結婚 29歳 1998年8月

・社会の壁。地上から5センチくらい浮いて歩いている感じ

・29歳 新卒、既婚の就職活動

 →おちまくり 相手にされない。嘲笑されたのがわかる→腐る。

・声がかかった「わっぱの会」へ、単身赴任。

・障害のあるなしに関わらず地域で共に生きる「共同体づくり運動」

・ソーシャルワークのイロハは、共に生きるところで学んだ。

・理念と実際のギャップに苦しむ。疲弊。→実験なんだと。

でも、このギャップの中で、矛盾した中で何を「死守」するか を身につけた。

→のちの、共創の関係に生きる (博論:共創概念の研究、ヘルスプロモーションの理論と実践」へ

約束通り 3年で戻る。 

・ISH研究所(Institute for Interdisciplinary study of Human Life) 設立

・心理療法(代替療法)と医療のかけはし的な

・アウトリーチ型訪問支援を一人でスタート 

・母の闘病 

・2006年2月 母 他界

​・振り出しに。

・医学部の学士編入を目指すが、縁がないとわかり、医学系修士課程へ。

・公衆衛生修士。教授には目の敵に。

・2011年博士課程、立教の社会デザイン研究科へ。(なんでも書かせてもらえそう)

・しかし、学校にいかず。仙台へ1年。「被災地障がい者センターみやぎ

・2012年 地元で活動 →COCOTへコンタクト

            唯一社会運動としての意義を理解した人

・2012年 COCOTの復興支援担当へ。サポセンとは関わらず。1年半でやめる

・2012年 PSW 取得

・2015年3月 立教卒業

​・2019年10月 共創ラボ

 

 

 

 

中学2年生で不良化 ・・・壊れる(内側で)

​困らせる側にまわろう!

​なんで? これじゃおんなじじゃん!

麻布十番で一人暮らし 19歳〜21歳

1990年12月 カナダへ 22歳 (1998年6月まで)

日本へ    そして「わっぱの会」で社会復帰

​心理療法の探求・母の闘病  2002〜

​大学院へ

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