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 March 27, 2018  @ ise-city, Mie-ken

2017年3月9日の投稿

 

初めて来たのは1997年の暮れだから、20年のお付き合いとなる旦那さんの実家。玄関には松があって、お庭には祠まであって、どっしりしていて、立派で。


当時まだカナダで学生していてよれよれのセーターとジーンズで赴いてしまたった私は、

「ありゃまぁ場違いな所にお嫁に行こうとしてるのかな」と内心焦ったことを思い出す。

結局この時の懸念ははずれて、義父も義母も、実直な気取らない人で、懐深くて、何よりもずっと、

私の生き方を応援してくれる人たちだった。

結婚して半年経たずに単身赴任を決めた時ですら、理解しようとしてくれた。

そんな義父母が裸一貫から稼いで建てたご自慢の家。

義父が他界した時は、1.2ヶ月ここに住んだ。おっちょこちょいの義母に始終爆笑しながら一緒にお義父さんを偲んで過ごした、私にとっても大切な思い出の場所でもある。

2010年の夏に義母が介護が必要になり、施設で暮らすようになってからは空き家となり、今、近い将来、取り壊す話がすすんでいる。

最初に聞いた時は少なからず衝撃を受けて、自分がどうすることもできない無力さに、はがゆさや、

やるせなさを感じていたのだけれど、徐々に気持ちが変わっていって、これを現実的に止めることができないならば、せめて、丁寧に閉じてあげたい、と思うようになった。

この家が喜ぶような使い方をして、お義父さんお義母さんも喜ぶような閉じ方をしてあげたいなと。

時間がないことや、お金がないことを理由に、ばっさりと自分の中の大事なことを切り捨て置き去りにする、ことは、私の生業としてることとも矛盾してしまうし、自分に縁のあった事柄でそれをできないでいて、人様に、置き去りにしない生き方が大事とか言ったり暮らしを大切にしようなんてこと言うのもなんだかおかしいし、嫌だと。

そんなことを、バカ丁寧に文章を読むとか、バカ丁寧に言葉を聞くといった場を開いている

若き(私よりはね)仲間たちにお話ししたところ、「ゆくくる西日本とじるツアー」という企画が生まれてきた。

 

私の中にあった丁寧に閉じる、というところのエッセンスをくぃっとつかんでくれた…

少なくとも私には、そう感じられて、

家を見るたびに感じてきた切なさややるせなさが、暖かさを持った安堵に変わってきている。

 

ということで、今日は、このお家に久々にお客さまが来る。

お家に、なーんか、良かったね〜と話しかけながら、

長〜い廊下をぞうきんがけしてお洗濯して布団干し。

この家にいながら、こんなにパタパタとお掃除したのは、

義父の一年祭した時以来。

 

 

1人ではできなかったことが、動き出している。

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