April 13, 2018 

     @ Matsudo-city, Chiba-ken

ていねいに とじる旅 最終章 その2

〜鹿児島県伊佐市大口にある義父母の家編〜  Facebookより転載

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春は、区切りがつくこと、新たにはじまること(とじることと開くこと)が幾重にも重なって起こるから、あっという間に時が駆け抜ける。​

鹿児島県伊佐市大口にある旦那の実家を引き渡してから、早いもので、半月以上も経ってしまった。

FBにお家を引き渡して2日目の心境を簡単につづってから19日。


もうすでに、4月からのいろんな動きがはじまっているけど、この鹿児島のお家をとじる旅をしっかりと閉じてあげたいから、そうしないで先に進んでしまうのは何か気持ちがすっきりしないから、今言葉になることを綴っておこうと思う。

【ていねいに、とじる旅。最終章 その2】

 〜この旅に息を吹き込んでくれた「ゆくくる」への感謝をこめて〜

 

鹿児島県伊佐市大口にある旦那の実家の「ていねいにとじる」最終章は、「ゆくくる」の4人が吹き込んでくれた風に運ばれて、密度の濃い時を幾重にも重ねながらすすんでいった。たくさんの思いや出来事との出会い直しを繰り返し、3月末に引き渡しをした時には、「もう、これ以上望むことはなにもない」、「この家も、この家を建てた義父母も、喜んでいる」と心の奥底から感じられる私がいて、幕を下ろすことができた。

 

義父母が裸一貫から稼いで建てた趣きのあるご自慢の家。でも、取り壊して更地にして売るしかない、それもここ数年以内には、、、と話していたのが約1年前。

 

それが、「このお家をぜひこのまま使いたい、調度品も家具もよかったら使わせてもらいたい」というほどにこのお家を気に入ってくれる若い夫婦に引き渡すことができた急展開を感慨深く振り返る時、「ゆくくる」が何かを持ち込んでくれた、または何かをしでかしてくれたように感じてしまうことを否定することの方が難しい。

 

「ゆくくる」がしたことは何なのか、または、持ち込んだのは何なのかを言葉にしてしまうと、その言葉だけが浮いてしまって気まりの悪いことになるだろうから、その「何」かを突き詰めて書き表すことはしないけれど、その代わりに「ゆくくる」の企画で何が起こったかを記しておこうと思う。

 

ちなみに「ゆくくる」とは、滋賀県に住む健ちゃんなっちゃん夫婦と、東京に住む聡志君絢ちゃん夫婦がやっている企画の名称。「行く」と「来る」で「ゆくくる」。彼らはこれまで、互いの住まいを行き来する中で生まれてくるものをカタチにしてきていて、それを「ゆくくる」と呼んでいる。

「ゆくくる」とは 

 

誰かが言う、それに応える。

誰かが来る、それに応える。

 

たぶんぼくたちは、そんなふうに丁寧に生きる実験をしているのだと思います。

夢とか目的とか、何か特別なことのためじゃなく、

目の前の人や出来事を、よく見て聞いて、それに応える。

そんな風に生きようとする二組の夫婦が、大阪と東京を行ったり来たりしながら

「何か」を形にすることを、ぼくたちは「ゆくくる」と呼ぶようになりました。

ゆくくるホームページ(http://yukukuru.wixsite.com/yukukuru)から

結婚という縁で出会うことなった私にとっても様々な思いがつまった鹿児島の家の歴史を、

かつてそこで紡がれていた暮らしの面影ともども終わらせるということになって、

自分にこの流れを変えることはできない無力感の中、

せめて、「ていねいに閉じてあげたい」と思い、その思いを「ゆくくる」の4人に持ち込んだのが2016年の秋。

 

このおうちが喜ぶような使い方をしたいから、ただお泊りしてくれるだけでもいい、

何らかの形で使ってくれないかなと。

 

果たして、「ゆくくる」の4人は、その思いを、がっちりつかんでくれた。

いや、その思いにがっちり出会って、応答してくれた、という方がより正確な表現かもしれない。

 

生まれてきた企画のタイトルは「ゆくくる 西日本 とじるツアー」

それは、「起代さんのために」とか、「お家のために」ではなくて、

自分たちが共鳴し、自分たちの心の奥底から出てくるものに、

耳を澄ませながらそれを企画にして実行するというものだった。

 

 

以下が、「とじるツアー」を案内したホームページの冒頭の文章。

今年2017年、ゆくくるの4人はそれぞれの友人・知人を訪ね、西日本を巡ります。

いつかの出会いから時を経て、今の僕たちが出会い直すこと。

それはいつかの出会いが、今の僕たちだからこそ語れる言葉で語り直されること。

 

語られる言葉は「いつか」と「今」をつないでくれる。

線の端と端をつなぐと閉じて輪になる。

僕たちの出会ってからの時間は、閉じて輪になって、僕たちの中でめぐり始める。

 

と(綴)じた本はこれから何度もひらくことができる。とじたからこそはじまる時間があるよね。そんなことを語り合った僕たち4人の友人知人をめぐるツアー。

 

題して「ゆくくるとじるツアー」。

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これに、健ちゃんの、「案内文のようなはじまりの言葉」が続く。

 

それは、「ていねいにとじたい」という私の「思い」が、

どのように健ちゃんの中に響いて、企画につながっていったのかのヒントが、描かれているものだった。

 

 【とじる】

 [閉じる]しまる。終わりになる。

 [綴じる]離れているものを一つまとめる。

 

昨年の9月。父方のおばさんが亡くなりました。

愛知の和合という土地に住んでいるので、ぼくは小さい頃から「わごうのおばちゃん」と呼んでいました。

「わごうのおじちゃん」は、いわゆる認知症という診断がくだされる状態で、二人の間に子どもはおらず、二人が40年住んできた家はもうすぐ別の誰かに売られることになります。

おじちゃんとおばちゃんの家。正月には親戚が集まっておせちを食べたりした平屋の、手入れがいきとどいていた庭が今は少し荒れかけてきている家。

「無くなってほしくないな。」
「次の持ち主はやっぱり建て直すんだろうか。」

そういう気持ちを持ちながら、こんなときいつもそうだったように、体の一部が無くなっていくような寂しい気持ちや、じぶんにはどうすることもできない無力感を感じるだけでいました。

でも、今回の旅のきっかけをくれたきよさんの話を聞いて、少しずつ役目を終えて形を失っていってしまうものに対する、ぼくなりの関わりがあるんじゃないか、そう思えるようになってきました。

鹿児島にある旦那さんの実家を手放すにあたって、「丁寧に閉じるようななにか」がしたい、というきよさんの言葉を聞いたとき、瞬間にぼくの中には「わごうのおじちゃんとおばちゃんの家」が浮かんでいました。

できるだけ手放さないようにとか、壊されないようにとか、高い値がつくようにとか、そういう終わり方じゃなくて、もし親族やご縁のあった人が集まって、それぞれの人と結びついた思い出や気持ちや今思っている言葉を分かち合い、それぞれの心に綴じて、安らかに家がその役目を閉じられるような機会を作れたとしたら・・・。

それはもう、一つの終焉というだけじゃなく、そこにいる人たちのなかでもう一度、その場所やそこにいた人が生き生きと生まれ直す始まりでもあるんじゃないか。

そういう、一つの価値だけで測れないような集いなら、これまでもやってきたし、できる気がする。

きっと、和合の家でそんな集いを開くことになるのですが、それはまた別のおはなし。

今回は滋賀から、ゆくくるの4人が一つの車に乗って、終着点鹿児島での「丁寧にとじるようななにか」を目指して旅路をいきます。

経路は、滋賀を出発して、岡山、広島、山口、長崎を経て、鹿児島という予定。それぞれの土地で、ご縁のある方と丁寧に閉じたり綴じたりするような場を作れたらと思っています。

小林健司
 

この企画がこのような形になるまで、4人の間でどんな言葉が交わされていったのか詳しいことを私は知らない。けれど、これらの文章を読んだ時、「なぜに、そこまで、この私の中にあるせつなさやもどかしさ、やるせなさと、それをどうにかしたいと切望しているありようを、こんなにちゃんと分かってくれたんだろう」という思いが込みあがってきたことを覚えている。そして、私より10歳くらい若い世代の4人の感受性と創造性に驚嘆し、「こんなことを、企画にしちゃうんだー」と彼らの自由さをあっぱれに思って、ワクワクしながら旦那にこの文章を読み聞かせたことを覚えている。

 もちろん彼らは、「分かろう」なんて思ってはおらず、ただただ、応答することにした、だけなのだろうけれど。「分かろう」とせずに返してくれたことが、かえって、私には、「分かってもらえた」と感じたのだろうけれど

 

結局、彼らは、下見という名の前編で3月に1回、本編という名の後編で4月に1回、鹿児島のお家に来てくれた。

 

彼らに話を持ち掛けた時は、鍵を渡して勝手に使ってもらえればいいかな、くらいに構えていた。実際、そのために、お家の使用マニュアルまで旦那に作成させて準備したのだけれど、彼らの文章の威力なのかなんなのか、日増しに、皆があの家にいる時に自分も一緒にいたいという思いが強くなり、、、結局、2017年の私の年間予定はまんまと塗り替えられてしまった。当初は年間の予定に一文字も入っていなかった「ゆくくる」が、2017年の私のプロジェクトのど真ん中にでーんと居座ってしまったのだ。もう仕方ないと堪忍してこの流れに従うことにした時の、身体がホッとした感覚は懐かしくいい感じのものとして今も覚えている。

 

さて、長くなるとは思うけど、ここに「ゆくくる」で起こったことを、思い出すままに書いてみようと思う。

 

◎2017年3月 下見という名の前編。

3月9日:下見で健ちゃんとなっちゃんが到着する日。二人を出迎えるために朝からパタパタとお部屋の大掃除。でも全然終わらず。到着した二人はそのまま一緒に大掃除を手伝うはめに。台所の棚からは白砂糖が山のように出てきた。この時、玄関周りの掃除を欠かさなかった義母がまるで乗り移ったかのように、玄関を必死になって掃除してしまう自分がいた。健ちゃん、なっちゃんが、この家に関する思いをじっときいてくれた

(その言葉を後からテープ起こしして冊子にして綴じてくれた。)   3月9日のFacebook日記へGO 

 

3月10日:私は松戸での仕事のため夕方には空港へ。私の出発ちょっと前に入れ替わる

ようにして旦那が到着。聡志君、絢ちゃんもその後到着。旦那はご飯もつくってもら

って4人との時間をすっかり楽しんだ模様。

 

3月11日~13日:旦那と「ゆくくる」4人との時間。座敷で5人で円坐をして、その時に

旦那は家のことや父の思い出をじっくりと語ったらしい。

(この時話したものも、冊子にしてくれた。)

しばらく空き家になっていたこの家で、人が集い団らんしているところに自分も身を

置くことになって、いろいろと感じることがあったのだろう。すぐにでも更地にして

しまいそうな勢いだった旦那の態度がこれを機に軟化していった。

 

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◎2017年5月 後編という名の本編 

 

聡志君FBイベントページでの案内文https://www.facebook.com/events/651886828334125/

 

 

5月2日:「ゆくくる」4人、夕方到着。「うまく言い表せないけど何かに対して精一杯(聡志君の言葉)」な旅を続けてやってきた。どうやら、「ていねいにとじる何か」に向かうというテーマで懐かしい人との出会いを繰り返した4人は、必然的に、自分自身や、パートナー、自分のルーツとなる親たちとの出会い直しを、きっと本人たちも予想していなかったくらい濃い次元ですることになって、それは、関係が破局するかもしれないリスクに直面することもあったくらい濃かった模様。だから、終着点の鹿児島の家に到着した時は「ほんとに辿り着けた~」とホッとしていて、辿り着いただけのことに、とっても感動していた。(まだ、その中身が感じ取れなかった私は、ただ「かわいいな」と思ってみていたのだが、翌日以降、私もすっかり皆のペースに巻き込まれ、全身全霊で自分の結婚というテーマと出会いなおすことになった)。夕方、ニシムタまで食材の買い物へ。ゆっくりごはん。

 

5月3日:ゆっくり起床。ごはんつくり。絢ちゃんとなっちゃんが重ね煮をいっぱい作っていた。男たちは漫画よんだりピアノ弾いたり。昼食のカレーを食べた後に皆が一様に睡魔に襲われて寝入った「カレー事件」が起こる。こんなふうにこの家で人がくつろげていることがただただ嬉しかった。うるおぼえだけど、午後に1回、円坐をしたと思う。旅の道中でたくさんの人たちとの関係の中で生きていることを確認してきた「ゆくくる」と座る円坐は、たくさんの人たちの存在が当たり前にそこにあって、もちろん、この家を建てた義父も義母も、そしてこの場にいられなかった旦那の存在もあって、「満員御礼」の円坐だった。

 

5月4日:円坐と影舞。たぶんこの日だったと思う。私にとってほろ苦い思い出となっている結婚お祝い食事会で流したMariah CareyのHeroをかけて、聡志君と絢ちゃんが影舞をしてくれた。結婚式のやり直しとして。この曲は、カナダで過ごした20代に区切りをつけてカナダで学んだことを活かして日本で生きるんだと意気揚々と帰国した私の、帰国後すぐの挫折を象徴する曲。これをBGMに舞う二人を見つめていたら、あたたかい涙がやまほど流れていった。

 

5月5日:確か午前中から昼過ぎまで大掃除をした日。窓ふきしてもらったり、倉庫の中に眠っていた市販品の洋服をあさったり。義父が孫のために買ってあげたけど日の目をみることのないまま箱に入っていたやたらに大きい5月人形を箱から出して飾ってあげたり。なんの縁か、この日は5月5日で子供の日。義父もきっと喜んだはず。午後は、起代さんのお気に入りの場所にお出かけ。空港から大口の家に向かう途中に、田んぼの中にお墓がある丘がぽっこりあって、わきには大きな民家がある景色がある。そこに来ると、「あぁ大口に帰ってきたなぁ」と思う場所だ。起代さんのお気に入りの場所に行こうということになってすぐ浮かんだのがこの景色だったので一緒にそこへ行き、それから九州のナイアガラと言われる曾木の滝へ。その後は針持温泉でゆっくり。

 

5月6日:この日のことで思い出せるのは、おもむろに庭掃除をはじめた私の横で一緒になって枝切りをしてくれたりしている健ちゃんの姿。もう数年後には切られちゃうかもしれない松なのだけど、なんか、手入れをすることができてホッとした。夜は、鍋に直に醤油と砂糖をいれながら作る鹿児島風「すきやき」。この谷口家に初めて訪れた日の夜ごはんがこの「すきやき」で、直に醤油と砂糖を入れることに驚いた話をしたことを覚えていてくれた「ゆくくる」からのサプライズ。いきな計らい。夜、旦那に電話した。皆が庭の植木まで掃除していってくれたよとか、いろいろ話す。何かに触発されたようで、「俺も行きたくなっちゃったな、夏に起代が行くときは一緒に行こうかな」と言い出す。

 

5月7日:「ゆくくる」、早朝7時頃に出発。皆が去ってガランとしたお家の縁側で一人、ぼーっと振り返る。気持ちのいい風が吹いている。皆と過ごしたこの時間、このお家は、皆にホントに愛されていたなと思う。皆、口々に、この家落ち着くな~といって、ホントにくつろいでくれていた。このお家もここにいた皆をあたたかく包みこんでくれていたなと思う。

 

こんなふうにして、「ゆくくる 西日本 とじるツアー」は終わった。誰かがていねいに使ってくれた、ただそれだけで満足だったのだけれど、これがあたかも風を吹き込んだかのように、こんどは旦那が動き出し、私たち夫婦の「とじるツアー」がはじまった。

 

夏は夫婦二人で鹿児島に3泊滞在し、お家のおそうじ、庭の手入れ、義父の遺品整理、母の生活用品の整理、父方の先祖をさかのぼってのお墓参りなどフル稼働。11月にふと思いたってとある知人に電話を入れたことがきっかけで、この中古をそのまま買ってくれる人を探します!という不動産屋に出会うことにもなった。そして想定外に早く「買いたい人がみつかりました」の連絡を12月末に受け取り、もうそれからはてんやわんや。旦那、私、旦那の妹夫婦がそれぞれスケジュールの合間を縫って週末や日帰りで鹿児島に飛び、荷物整理と輸送の手配と、ふだん疎遠になりがちな妹夫婦との連携のもと「とじる」最終章に向かうことに。施設に暮らす母は「よかったね~」と喜んでくれた。

 

結局、「数年後には形がなくなってしまうかもしれない」と切ない思いで見つめていた柱や扉や天井、囲炉裏とか趣のある家具や調度品、そして庭の木々たちはそのまま引き継がれることになった。新しい家主である地元の若いカップルは、こころが通じる人たちだった。これは、ちょっとしたトラブルがあったおかげで腹を割って話す機会があったので分かったこと。

トラブルに対してどう対処したかも含め、3月20日から25日までの最終の引き渡しの期間も、「ゆくくる」との「ていねいにとじる」のテーマがずっと響いていたように思う。(そうそう、私たち夫婦は、今回の最終引き渡しのために、松戸から鹿児島まで車で行く旅を決行、3月20日~25日の間この家に滞在したのでした。)

 

2018年3月24日、この家で過ごす最後の午後。「ゆくくる」の一人で鹿児島に実家のあるなっちゃんが、息子の伊吹君をつれて再びこの家を訪ねてくれた。1年前の「ゆくくる西日本とじるツアー」の時はお腹にいた伊吹君はすっかり人間になっていて、このおうちの中でくつろいで笑って、私の目つぶしをしたり、ひゃーひゃーいったりしていた。初めての場所なのにくつろいでる伊吹君の姿に、「この場所のこと覚えてるのかもね」と、なっちゃんが一言。確かにそんな気がする。(ところで、この家の「ていねいにとじる」旅路に伊吹を吹き込んでくれた「とじるツアー」の時にお腹の中にいた子は、伊吹君という名前になっていたということだ!)

 

さて、ここまでが、「ゆくくる」で起こったことと、その後に起こったことのお話。

 

この一連の出来事を、この家を手放す第一人者である旦那は、「『ゆくくる』が大きな契機となって、家が優しく手放してくれてたって感じがするよ」と喜んでいた。

 

つまり、このお家をこのまま売るのはほとんど無理、取り壊して更地にして売るしかない、というところから、お家がこのまま引き継がれ、売り手も買い手も関わった人も皆ハッピー というところまで運ばれた訳だ。旦那は、この流れを、「『ゆくくる』が契機になって」と表現した。私は、これを「ゆくくる」が「伊吹」を吹き込んでくれたかように感じている訳なのだけど、では「伊吹」って一体、何なのだろう。「ゆくくる」がどうやって「伊吹」となりえたのだろう。

 

「ゆくくる」がしたことは、ていねいに、興味と敬意を持って、「この家を閉じることになる」という出来事に出会うということだった。鹿児島のお家では、お家そのものや関係者、歴史、紡がれてきた暮らしの形跡一つ一つに興味を持って出会ってくれた。「家族」とか「家の歴史」とか、「閉じる」というテーマとかに関心を持ちながら。そんな彼らが来たことで、この家の中で眠っていたいくつもの物語や、隠れていた品々が、新たに日の光を浴びることになった。

 

たとえば、人が来るからと布団を用意するために普段開けない押入れを開けたところで見つかった品々がある。たとえば、彼らが来なかったら箱から出されることのなかったやけにデカい五月人形の存在。こういうものを買ってしまう義父の物語。なんでもラップにくるんで、ありえないところにおかしなものをしまう義母にまつわるたくさんの笑い話等々。

 

外からきた人の目にとまり語られることで鮮明に立ち現れる義父母の姿。それに刺激されて、私は、自分の中にいる義父や義母に新たに出会い直し、もうすでに自分の一部になっている彼らの存在を再確認することになった。そうなると、もう、彼らのためにも自分のためにも、引っ込みがつかなくなり、この「丁寧にとじる」を途中で投げ出すわけにはいかなくなる。しかも、やりかけたことを「ゆくくる」は目撃している。「ゆくくる」もまた、私を引っ込みがつかなくなるところに押し出すものとなり、もう、何がなんだかわからないけど必死になるしかなくなった。すると、よくわからないけどお尻に火がついている私の勢いに、最初は「片づけは時間がないから業者にやってもらえばいい」といっていた旦那もていねいに片づける作業にすっかりはまり込み、何度も鹿児島に飛んだ。こういう、できるだけ「ていねいに」(つまり、こころをおきざりにしないプロセスをすすむこと)は、しまいには妹夫婦や買い手までにも波及していった。

 

多分、私は、こういった、人が動き出すような流れができたことを、「息を吹き込んでくれた」とか、「風に運ばれて」とか言っていて、人を動かす源泉を「伊吹」とか言って表現しているのだと思う。(それが最終的にホントに想定外に早く良い買い手が見つかるという流れにまで今回はつながったのだが、それは今回は置いておく)

 

では、興味を持って、ていねいに出会うということをすれば、「伊吹」になるのかといえば、事はそんなに簡単なことではなさそうだ。健ちゃんの4月3日の投稿に、「ほんとうに自分にとって差し迫ったことを、どうにかしたいと声をあげて、それに応える、その行為こそが無縁性を帯びる。それはだれにでも訪れるけれど、けっこうな覚悟が必要な行為でもあったりする。」とあるように、「伊吹」となるには、ある種の覚悟がいる。最初の方で書いたように、「ゆくくる」は、「起代さんのため」のツアーは作らなった。代わりに彼らが作ったのは、それぞれが、それぞれの、「ていねいにとじる何か」に向かうという、それぞれが当事者して関わるものだった。それは、「起代さんのため」よりも、一段階深いコミットメントを必要としたことだろうと思う。(5月に鹿児島の家に到着した時の彼らの様子がそれを物語っていた。)

 

「伊吹」は、意図して作ったり吹かせたりするものではなく、今回のように、あるものの「思い」や「叫び」に真剣に応答し、その応答として自ずから出てきてしまったプロセスを生ききるところに生じる、または、生じる時には生じる、というようなものなのだと思う。

 

今回の話は、もともとは、空き家になって何年も経つ家をこのままただ取り壊すことになるのがなんとも耐えられないというところから始まった。「せめてもの」という、すがるような思いで「ていねいにとじたい」と発したことが、こんなに豊かな体験を運んでくれるとは夢にも思わなかったし、「ていねいにとじる」という言葉がこれだけ特別な意味を持つことになるとも思わなかった。今、この「ていねいにとじる」という言葉に私が持つ特別な意味を共有する仲間がいる。なんとも有り難いことに。

 

この言葉は、これからもずっと私の中に生き続けるだろう。そして、この言葉に戻ってくる時はその度に、この特別な意味を共有できる仲間たちのことを想いだすだろうし、鹿児島での時間を想いだすことだろう。そして、そのことに、これからもずっと励まされ続けていくだろうなと思う。

 

応答してくれて、ありがとう。

 

これからも、丁寧に日々をしっかり生きるというところにふんばりながら、それに埋もれず、しっかりと躍進していきます、と誓いたい。 感謝をこめて。

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