April 17, 2018
@ Matsudo-city, Chiba-ken
ていねいに とじる旅 最終章 その3
〜鹿児島県伊佐市大口にある義父母の家編〜 Facebookより転載
ていねいにとじる旅 最終章 その2 へ
~これからにむけた予告編として~
「ゆくくる」が吹き込んでくれた伊吹を綴った「ていねいにとじる旅。最終章その2」はとんでもなく長くなってしまったので、ここでは本当にちょびっと、「ていねいにとじる旅」全体を振り返って、この旅を経て今の自分がどんなところにむかうことになったのか、記しておきたい。前半は自分の内面タラタラと綴ることになりますが、後半には自分のプロジェクト(研究と実践)が向かうところの言語化を試みたい。
今回、現実的な時間の中で、鹿児島にある旦那の家を閉じる(結果的に、次の家主に引き渡す)ことをした。
この過程では、片づけをして、不動産とやりとりして、私たちがこのまま持ち続けたい大事なものを運び出すということをしてきた訳なのだけれど、このプロセスには、もう一つの層があって、その層において副次的に閉じられたものが、今、思い浮かぶだけでも、2つある。
1つは、自分への疑念。
自分の考えることは、いつも突飛で、人には分かってもらえない、という過去のいくつもの体験からくる、「私はおかしいかも」という疑念を持ちながら行動する癖。
これは、「その2」で書いたように、「ゆくくる」が全身全霊で応答してくれたことから起こった出来事の中で、「もういいんだな」と思えた。おかしいならおかしいでいいや。そのことで道を踏み外したら、それは、それ。その踏み外したところから生きていけばいい、命ある限りって今思えている。
2つ目は、しているようでいまいち現実的な感じがしていなかった結婚。
結婚がとじられました(終わりました)ということではなくて、言葉で表すなら、20年目にしてようやく結婚できました、という感覚。
今回のような「家」を閉じるという大きなことは、そのまま自分たちの暮らしの様々なところに影響がでることなので、それはもう激しい意見の対立が起こる。日々の自分にもろ影響が出るのだから、ゆずれないものはゆずれない。それを「ていねいに」なんとかしていこうとすれば、おのずと、互いをこれまでになく知るプロセスとなり、自分の知らなかった自分を見ることになり、やめたくなったり、離れたくなったり。
でももう、一緒にやってきちゃった20年の時間は、ビタっと自分にくっついている。無理にはがしたことにすることはできないほどに。はがせてると装うとしたら気持ち悪いことになる。その気持ち悪さと共に生きていくことは自分は望まない。それに、万が一はがせたとしても、きっと私じゃなくなる。で、こんなに怒り心頭で眠ったのに、朝おきたら横にいて、朝ごはんどうする、って話しているのは、どういうことだ!おかしいじゃないか私たち!!みたいなことを繰り返し。。。こういうのが結婚ってことでいいんだなと、あきらめがついたというところだろうか。
極めつけの濃いやりとりを、松戸ー鹿児島を車で行き来する中でずっとやり続けたわけだけれど、これに耐えたのだから、ここしばらくはもう一緒にやっていくということなのだろうと思っている。
・・・ちょっと振り返るつもりが長くなっている。結婚とか自分のこととか書きだすと、やはり、とまらなくなるのだね。ということで軌道修正すると・・・
「ていねいに とじる」には、2つの層があって、このプロセスを歩んできた私は2つの時空間をひっきりなしに行き来していた。1つの層(時空間)では、現実的な家を閉じる、があり、もう一つの層(時空間)では、それをしていくこころの整理(閉じる)のようなことがあり。
そして、私は、この2つの時空間をひっきりなしに行き来することでエンパワーされていった。
おそらく、人がこの社会で人間らしい生をいききるには、この「ひっきりなしの行き来」が実は大事なことなんじゃないかと考えている。
これまで関わってきた様々な現場、支援(対人援助・コミュニティづくり)の領域で、この2つの時空間の双方が大事なことは体感してきていた。
そして、支援の領域で、この2つの時空間に属する事柄が切り離されてバラバラに扱われていることや、どちらかに偏っていたりすることが、解せないことだった。この2つはくっついていてどちらも同じくらい大事なことなのに、と。
それを、例えば、私は、これまで、「ソーシャルワークと心理療法の統合をめざしている」というように言ってきた。
実は、なかなかこの2つの統合というのは、説明するのが難しいことでもあり、公言するのは勇気のいることでもあった。(ここで、私は、心理療法は現代社会において人の霊性(スピリチュアリティ)を堂々と扱える分野であると捉えていることを書いておく必要がありそうだ)
初めて公に書いたのは、バートへリンガーの著書の翻訳本の復刻版「いのちの営みありのままに認めて」を2016年に再版した時。訳者プロフィールのところにコソっと忍び込ませてみたけれどその時もかなりドキドキしたことを覚えている。
今回の「ていねいにとじる」にまつわる二つの時空間の行き来の経験は、感覚的につかんできたこと、まだ理論とかを借りて説明してきたことを、どっぷりそのまま自分自身で体験することができた、というできごとだった。そして、実はこれこそが人をエンパワーするんだということや、でも、行き来にはコツがあるということ、そのコツを外すと行き来しているようでしていないことになること、そのコツは双方に同等に自分がいることと関係しそうなこと、それから、やはり、この行き来には「他者と共に」が重要な要素としてあること等などを体感できた。
これ、つまり、「ひっきりなしの行き来」を言語化していくことが、今取り組んでいる「いのちと暮らしを守るソーシャルワーク」の理論構築の研究に結びつくだろうし、「ひっきりなしの行き来」を可能にしていく環境づくりが私の実践に核になるのだろう、という予感が今している。
ここまで書いてみると、今、延命寺でやっている地蔵の会の「てらたん」でいう胆力は、2つの時空間を行き来する胆力だったのだなと思う。人間存在の深淵を感じ、ありのまま観る胆力、とかいうようなことだけじゃなくて。だって、そこにはまったまま生きるなら、そこまで胆力はいらないから。
ようやく、自分が、いろんなところにあてはまらないできていた理由が、よくわかってきた。
そして、そのことを嬉しい気持ちでとらえられている自分がいる。
写真は、今回とじることになったお家の前で撮った旦那と私のビフォー・アフター、松戸―鹿児島を行き来した道中の景色(フェリーから、鳥羽の海岸での夕日)
宇和島フェリーから 臼杵港−松江(八幡港)
松戸への帰り道、鳥羽の海岸からみた夕日
はじめて訪れた時 1996年12月
表札を外す前にパチリ 2018年3月
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